【岐阜・解体済】銃殺の家…一家惨殺の銃声が響いた、今はなき呪われた民家 岐阜県可児郡御嵩町の山中に、そのあまりにも直接的で暴力的な名で、東海地方最恐と謳われた一軒の廃墟がありました。「銃殺の家」。ここは、一人の男が猟銃で自らの家族全員を惨殺し、最後に自らも命を絶ったという、
...
【岐阜・解体済】銃殺の家…一家惨殺の銃声が響いた、今はなき呪われた民家
岐阜県可児郡御嵩町の山中に、そのあまりにも直接的で暴力的な名で、東海地方最恐と謳われた一軒の廃墟がありました。「銃殺の家」。ここは、一人の男が猟銃で自らの家族全員を惨殺し、最後に自らも命を絶ったという、血塗られた伝説の舞台です。今はもうその姿を消した家から、果たして怨念は解き放たれたのでしょうか。
噂される怪奇現象と有名な体験談
廃墟であった当時、この家では、惨劇の記憶が生々しく蘇るかのような、数々の心霊現象が報告されていました。
- 深夜、廃墟の中から、数発の銃声と、それに続く女性や子供の悲鳴が聞こえる。
- 惨劇があったとされる二階の部屋で、血まみれの家族の霊が姿を現す。
- 猟銃を持った主人の霊が、侵入者を睨みつけ、追いかけてくる。
- 誰もいないはずなのに、家の中から「出ていけ」という低い男の声が聞こえる。
- 庭にある蔵に、殺された子供たちの霊が隠れている。
- 撮影した写真に、窓に張り付く無数の血の手形や、銃弾の痕のような光が写り込む。
最も有名な伝説「闇夜に響く惨劇の銃声」
この廃墟を「銃殺の家」と呼ばせしめる、恐怖の核心がこの現象です。深夜、家のあった場所に近づき、耳を澄ますと、まるで惨劇が再現されるかのように、家の中から数発の銃声と、それに続く家族の断末魔の叫びが聞こえてくる、というものです。
「最初は空耳かと思ったが、仲間全員が、明らかに家の中から響く『パーン!』という乾いた音と、女性の短い悲鳴を聞いた」「銃声の後、二階の窓に、こちらを恨めしそうに見つめる、血だらけの家族の人影が浮かび上がった」など、あまりにも具体的で生々しい体験談が数多く報告されていました。
逃げられない“主”の視線
この家の恐怖は、被害者となった家族の霊だけではありません。惨劇を引き起こした張本人である、主人の霊もまた、この家に縛り付けられていると噂されています。
「懐中電灯で家の中を照らすと、暗い廊下の突き当りに、猟銃を肩にかけた大柄な男の影が立っていた」「二階へ続く階段を上がろうとしたら、上から『俺の家だ、出ていけ』という、怒りに満ちた声が響き、階段が激しく揺れた」といった体験談があります。彼は、自らが破壊した“家族”と“家”を、永遠に守り(監視し)続けているのかもしれません。
この場所に隠された歴史と呪われた背景
銃殺の家の成り立ち
「銃殺の家」として知られたこの建物は、岐阜県御嵩町の山中にポツンと建っていた、ごく一般的な木造二階建ての民家でした。周囲には竹藪や森が広がり、昼間でもどこか隔絶された雰囲気を漂わせていました。
いつ頃建てられ、どのような家族が住んでいたのか、そしてなぜ廃墟となったのか、その正確な公的記録を見つけることは困難です。しかし、その荒廃した姿は、何らかの悲劇的な理由で、突然、人の営みが断ち切られてしまったことを物語っていました。
心霊スポットになった“きっかけ”
この場所が心霊スポットになったきっかけは、「この家で、主人が猟銃で一家を惨殺し、自らも命を絶つという事件が実際にあった」という、極めてショッキングな噂が広まったことです。
この噂の真偽についてですが、実際に昭和の時代、岐阜県内の別の場所で、猟銃を使った一家惨殺事件があったという報道記録が存在するようです。しかし、心霊スポットとして有名になったこの廃墟そのものが、事件の現場であったという確証はありません。
おそらく、実際に起きた悲惨な事件の記憶が、時を経て、近くにあった不気味な廃墟のイメージと結びつき、「あの廃墟こそが、あの事件のあった家だ」という、強力な都市伝説として定着していったものと考えられます。現実の事件に基づいているからこそ、その噂は他に類を見ないほどのリアリティと恐怖を帯びていたのです。
【管理人の考察】なぜこの場所は恐れられるのか
今はもう存在しないこの廃墟は、なぜこれほどまでに人々を恐怖させたのでしょうか。それは、この場所の伝説が、“実話”の匂いをまとっていたからです。
- 歴史的要因: この場所の恐怖は、全くの創作ではなく、**「実際に起きた(とされる)猟奇殺人事件」**という、生々しい記憶に根差しています。たとえ事件現場がこの家ではなかったとしても、「この地域でそのような悲劇があった」という事実は、土地の記憶(ヴァナキュラー・ヒストリー)として、人々の心に深く刻まれています。その記憶の受け皿として、この廃墟は完璧な舞台となってしまったのです。
- 地理的・環境的要因: (廃墟であった当時)山中に孤立し、竹藪に囲まれるようにして建つ一軒家。この「ポツンと一軒家」というロケーションが、外界から隔絶された惨劇の舞台として、完璧な雰囲気を醸し出していました。夜になれば完全な闇に包まれ、風が竹を揺らす音は、人の囁き声や衣擦れの音のように聞こえ、恐怖を増幅させました。
- 心理的要因: 「銃殺」という、極めて暴力的で直接的な死のイメージ。そして「一家惨殺」という、家庭という安全な空間が崩壊する、最も裏切りのに満ちた悲劇。この二つの要素が組み合わされた物語は、訪れる者の心理に強烈な衝撃と恐怖を与えます。訪問者は、家の一室一室に、惨劇の痕跡や、家族の断末魔の叫びを、自らの想像力で鮮明に思い描いてしまうのです。
探索の注意点
現在の状況と物理的な危険性
- 【最重要】建物は全て解体済み: 心霊スポットとしてあまりにも有名になった「銃殺の家」ですが、老朽化による倒壊の危険性などから、2012年~2013年頃に完全に解体・撤去されました。現在は更地、あるいは資材置き場のようになっています。
- 私有地・立入禁止: 跡地は現在も私有地であり、関係者以外の立ち入りは固く禁じられています。
- 周辺道路: 跡地に至る道は、細い山道であり、車両での通行には注意が必要です。
訪問時の心構えと絶対的なルール
- 絶対に不法侵入しない: 建物はもう存在せず、跡地は管理された私有地です。興味本位で立ち入ることは、住居侵入罪(建造物等侵入罪)にあたる犯罪行為です。
- ネットの古い情報を鵜呑みにしない: 現在も廃墟が存在するかのような古い情報や動画を信じて、危険な場所に無駄足を踏まないようにしてください。
- 故人への敬意: この場所の伝説の元になったとされる、実際の事件の犠牲者の方々もおられます。不謹慎な言動や、面白半分の探索は厳に慎んでください。
まとめ
「銃殺の家」の恐怖の物語は、一つの悲惨な事件の記憶が、一軒の廃墟に宿ることで生まれた、哀しき都市伝説でした。建物が解体された今、一家の魂は、ようやくその土地の呪縛から解き放たれたのでしょうか。その答えは、誰にも分かりません。
あなたの体験談を教えてください(口コミ・レビュー)