【岐阜・解体済】古虎渓ハウス…一家惨殺の記憶、今はなき“櫓”に響いた少女の泣き声 岐阜県多治見市の渓谷に、かつて異様な姿でそびえ立つ、東海地方を代表する廃墟がありました。その名は「古虎渓(ここけい)ハウス」。特徴的な“櫓(やぐら)”を持つこの場所は、経営難に陥ったオーナーが一家を惨殺し、
...
【岐阜・解体済】古虎渓ハウス…一家惨殺の記憶、今はなき“櫓”に響いた少女の泣き声
岐阜県多治見市の渓谷に、かつて異様な姿でそびえ立つ、東海地方を代表する廃墟がありました。その名は「古虎渓(ここけい)ハウス」。特徴的な“櫓(やぐら)”を持つこの場所は、経営難に陥ったオーナーが一家を惨殺し、自らも命を絶ったという、あまりにもおぞましい噂と共に語られてきました。今はもうその姿を消した呪いの館で、一体何があったのでしょうか。
噂される怪奇現象と有名な体験談
廃墟であった当時、この場所では、悲劇の一家の怨念が渦巻いているかのような、数々の心霊現象が報告されていました。
- 一家惨殺の現場とされる“櫓”の窓に、こちらを見下ろす少女の霊が姿を現す。
- 誰もいないはずの室内から、子供の泣き声や、助けを求める女性の悲鳴が聞こえる。
- オーナーの霊とされる黒い人影が、廊下や階段を徘徊している。
- 建物に近づくと、内部から石や物が投げつけられることがある。
- 敷地内に足を踏み入れると、急激な頭痛や吐き気、悪寒に襲われる。
- 撮影した写真に、窓に張り付く無数の手形や、一家の顔のようなものが写り込む。
最も有名な伝説「櫓で惨殺された一家の霊」
この廃墟を最恐たらしめていたのが、「オーナー一家惨殺事件」の伝説です。その昔、この施設のオーナーが事業に失敗し、多額の借金を苦に、妻と自らの子供たち全員を、あの特徴的な“櫓”の中で惨殺。そして、最後に自らも首を吊って命を絶った、というものです。
それ以来、一家の霊は成仏できず、自分たちの家であったこの場所に縛り付けられていると噂されていました。「深夜、櫓の窓に明かりが灯り、小さな女の子がこちらに手招きしていた」「館内から『パパやめて!』という女の子の悲痛な叫び声が聞こえた」など、惨劇の瞬間を追体験するかのような、おぞましい体験談が数多く報告されていました。
招かれざる客への警告
この場所は、訪れる者に対して非常に排他的である、とも言われていました。これは、安住の地を奪われ、無念の死を遂げた一家が、自分たちの領域を荒らす侵入者を激しく拒絶するためだと考えられています。
「建物の写真を撮っていたら、2階の窓から石が飛んできた。もちろん中には誰もいなかった」「仲間と探索中、全員が同時に、耳元で『帰れ』という低い男の声を聞いた」といった体験談も存在します。これらは、肝試しに訪れる者たちへの、オーナーの霊からの最後の警告なのかもしれません。
この場所に隠された歴史と呪われた背景
古虎渓ハウスの成り立ち
「古虎渓ハウス」は、愛知県と岐阜県の県境を流れる庄内川(土岐川)の渓谷「古虎渓」に建てられた、レストラン兼展望台、あるいは宿泊施設であったとされています。特徴的な“櫓”を持つそのユニークなデザインから、昭和の観光ブームの時代(1970年代頃)には、景勝地を訪れる多くの人々で賑わっていたと考えられます。
しかし、その後のレジャーの多様化や、施設の老朽化により客足が遠のき、おそらく1980年代後半から90年代には営業を停止。その後、所有者からも放置され、東海地方を代表する巨大な廃墟として、その不気味な姿を晒し続けることになりました。
心霊スポットになった“きっかけ”
この場所が心霊スポットとして有名になった直接的なきっかけは、やはり「オーナー一家惨殺事件」という、あまりにも衝撃的な噂です。
しかし、この噂を裏付ける、公的な事件記録や報道は一切確認されていません。 これは、渓谷の崖っぷちに孤立して建つ、異様な形の巨大廃墟を前にした人々が、「これほどの場所が、ただ寂れただけのはずがない」と考え、最も悲劇的で記憶に残りやすい物語を創作し、結びつけた結果生まれた「都市伝説」である可能性が極めて高いのです。
特徴的な“櫓”という舞台装置が、物語に具体的な現場を与え、噂はより一層のリアリティをもって、東海全域に広まっていったのです。
【管理人の考察】なぜこの場所は恐れられるのか
今はもう存在しないこの廃墟は、なぜこれほどまでに人々を恐怖させたのでしょうか。それは、建物の持つ「特異性」と、物語の持つ「悲劇性」が、完璧にシンクロしていたからです。
- 歴史的要因: この場所は、多くの廃墟がそうであるように、昭和の「光(観光ブーム)」と、その後の「影(衰退と放置)」を象徴しています。多くの人々の楽しい思い出が詰まっていたはずの場所が、今は見るも無残に朽ち果てているという「失われた楽園」としての哀愁が、心霊譚の土台となっています。
- 地理的・環境的要因: 渓谷の崖沿いという、隔絶されたロケーション。そして何より、城の天守閣を思わせる“櫓”を持つ、他に類を見ない建物のデザイン。 この異様な外観が、見る者に強烈な非日常感と威圧感を与え、「何か特別な因縁があるに違いない」と思わせるのに十分な力を持っていました。
- 心理的要因: 「一家惨殺」という物語は、家族という最も安心できる共同体が、最も悲惨な形で内部から崩壊するという、人間の根源的な恐怖を刺激します。特に「櫓」という具体的な場所が惨劇の舞台として設定されていることで、訪問者の恐怖心はその一点に集中します。そして、その狭く暗い空間で、一家の最後の瞬間を想像し、自らの恐怖心で幻覚や幻聴を生み出してしまうのです。
探索の注意点
現在の状況と物理的な危険性
- 【最重要】建物は全て解体済み: 心霊スポットとしてあまりにも有名になった「古虎渓ハウス」ですが、老朽化による倒壊の危険性などから、2017年夏頃に完全に解体・撤去されました。現在は更地になっており、かつての建物は一切残っていません。
- 私有地・立入禁止: 跡地は現在も私有地であり、関係者以外の立ち入りは固く禁じられています。
- 周辺道路: 跡地に至る道は、細い山道であり、車両での通行には注意が必要です。
訪問時の心構えと絶対的なルール
- 絶対に不法侵入しない: 建物はもう存在せず、跡地は管理された私有地です。興味本位で立ち入ることは、住居侵入罪(建造物等侵入罪)にあたる犯罪行為です。
- ネットの古い情報を鵜呑みにしない: 現在も廃墟が存在するかのような古い情報や動画を信じて、危険な場所に無駄足を踏まないようにしてください。
- 故人への敬意: たとえ伝説上の人物であっても、悲惨な最期を遂げたとされる一家を冒涜するような言動は厳に慎んでください。
まとめ
東海地方最恐と謳われた古虎渓ハウスの物語は、廃墟の解体と共に、物理的には終わりを告げました。しかし、あの異様な“櫓”の姿と、そこで語られた一家惨殺の伝説は、これからも人々の記憶の中で、決して消えることのない恐怖の象徴として生き続けるでしょう。
このスポットの近くにある、もう一つの恐怖
- 旧愛岐トンネル(きゅうあいぎとんねる) 古虎渓ハウス跡地と同じく、愛知県と岐阜県の県境にまたがる、明治時代に造られた旧国鉄中央本線のトンネル群。現在は美しい自然遊歩道として一部が整備されていますが、建設工事の犠牲者の霊や、トンネル内を彷徨う人影の目撃談が絶えません。日本の近代化を支えた産業遺産が、時を経て心霊スポットと化した、歴史の影を感じさせる場所です。
[詳細はこちら→]
あなたの体験談を教えてください(口コミ・レビュー)