箱根関所資料館:「晒し首の写真」に写り込んだ“無数の顔”…撤去されたはずの呪い 日本有数の観光地、箱根・芦ノ湖畔に佇む「箱根関所」。江戸時代の厳格な取締りを今に伝えるこの場所には、かつて「晒し首資料館」というおぞましい異名がありました。
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箱根関所資料館:「晒し首の写真」に写り込んだ“無数の顔”…撤去されたはずの呪い
日本有数の観光地、箱根・芦ノ湖畔に佇む「箱根関所」。江戸時代の厳格な取締りを今に伝えるこの場所には、かつて「晒し首資料館」というおぞましい異名がありました。その理由は、資料館にかつて展示されていた一枚の「晒し首の写真」。その写真には、写るはずのない“無数の顔”が浮かび上がっていたとされ、今もなお、撤去されたはずの呪いが囁かれ続けています。
噂される怪奇現象と有名な体験談
「入鉄砲・出女」を取り締まり、多くの悲劇の舞台ともなったこの場所では、現在も不可解な現象が報告されています。
- 問題の「晒し首の写真」が展示されていた旧展示室で、女性のすすり泣く声がレコーダーに記録された。
- 閉館後、夜間の清掃中に、誰もいないはずの廊下から「足音」や「人の息づかい」が聞こえる。
- 廊下や展示室に、幕府の役人、あるいは罪人の霊とされる「男性の幽霊」が現れる。
- 設置されている無人の防犯カメラに、時折「白い人影」が映り込む。
- 訪問者の一部が、特定の展示室で急な「頭痛・耳鳴り・めまい」などの体調不良を訴える。
- 撮影した写真に、多数のオーブ(光球)や霧状の影が写り込む。
呪われた「晒し首の写真」
この資料館の恐怖の核となっているのが、1970年代から90年代にかけて展示されていた、一枚の白黒写真です。 その写真は、江戸末期から明治初期に撮影された「晒し首」の様子を写した、史実的に非常に貴重なものでした。しかし、1970年代後半頃から、修学旅行で訪れた学生たちを中心に、「晒し首の周囲に、宙に浮いたような“人の顔”が何十個も写っている!」という噂が爆発的に広まります。
この噂は集団ヒステリーとも言われましたが、やがて新聞や書籍、果ては1990年代のオカルト雑誌『ムー』でも取り上げられ、「本物の心霊写真」として全国に知れ渡りました。そのおびただしい数の顔は、この関所で処刑された者たち、あるいは関所破りで見せしめにされた者たちの怨念ではないかと恐れられました。
写真撤去後に起きた「新たな呪い」
あまりに噂が広まったためか、2000年代初頭の資料館改修に伴い、この「晒し首の写真」は展示から外されました。しかし、恐怖はそれで終わりませんでした。 噂によれば、この写真を処分(あるいは移動)に関わった職員が、原因不明の体調不良に見舞われたといいます。さらに、写真が撤去された後の旧展示室や、資料が保管されたとされる別館で、原因不明の「異臭」が発生するようになったという、新たな怪奇現象まで報告されるようになったのです。
この場所に隠された歴史と呪われた背景
箱根関所資料館の成り立ち
「箱根関所」そのものは、慶長9年(1604年)、江戸幕府によって設置されました。「入鉄砲(江戸への武器の持ち込み)」と「出女(人質として江戸に置かれた大名の妻子が逃げ出すこと)」を厳しく取り締まるための、江戸防衛における最大の関所でした。 ここでは厳格な取り調べが行われ、関所破りは極刑。多くの人々がこの場所で裁かれ、あるいは絶望したと伝えられています。関所は明治2年(1869年)にその役目を終え、廃止されました。
その後、1965年(昭和40年)に国の史跡指定を受け、翌年に「箱根関所資料館」が創設。当時の武具や刑具、古文書、そして問題となった「処刑関連史料」が展示されるようになりました。
心霊スポットになった“きっかけ”
心霊スポットとしての歴史は、1970年代の資料館開設と同時に始まりました。きっかけは、まぎれもなく「晒し首の写真」の展示です。 歴史的史料として展示された写真が、修学旅行生という感受性の強い集団の目によって「心霊写真」として“発見”され、口コミで急速に拡散しました。厳しい関所の歴史と、晒し首というおぞましい被写体、そしてそこに写り込む無数の顔という要素が組み合わさり、箱根関所資料館は「呪われた場所」としての地位を確立しました。
【管理人の考察】なぜこの場所は恐れられるのか
箱根関所資料館の恐怖は、非常に特殊な要因によって構築されています。それは「史実」と「展示物」と「心理」の恐ろしい連鎖です。
- 歴史的要因: この場所は、260年間にわたり「法を破れば死」という厳格なルールが適用された国家的な“境界”でした。関所破りで処刑されたお玉(お玉ケ池の伝承)のように、ここで人生を絶たれた人々の無念や絶望が、土地の記憶として深く刻まれていることは想像に難くありません。「役人の霊」や「罪人の霊」の噂は、その記憶の現れでしょう。
- 地理的・環境的要因: 芦ノ湖畔という立地は、夜間に濃い霧が発生しやすい環境です。この霧が、夜間の警備中などに「白い人影」や「霧状の影」として誤認される一因となっている可能性があります。
- 心理的要因: 最大の要因は、やはり「晒し首の写真」というおぞましい展示物が与えた強烈な先入観(プライミング効果)です。「晒し首」という強烈な死のイメージを見た直後では、訪問者の脳は極度に緊張し、壁のシミや展示物の影、光の反射といった些細な情報を、「人の顔」や「人影」として誤認(パレイドリア現象)しやすくなります。1970年代の修学旅行生の噂は、この集団心理が引き起こした現象である可能性が非常に高いです。写真が撤去された今も、「呪われた写真があった場所」という先入観が、新たな怪奇現象を生み出し続けているのです。
探索の注意点
現在の状況と物理的な危険性
- 現在、資料館は改築・復元され、日中は多くの観光客で賑わう安全な「観光施設」です。問題の「晒し首の写真」は展示されていません(非公開で保管中とされます)。
- 営業時間が終了する夜間は、敷地内への立ち入りは「完全立入禁止」です。
- 施設内には防犯カメラ、赤外線センサーが多数設置されており、警備員も常駐しています。夜間に不法侵入すれば、即座に警報が作動し、警察に通報されます。
- 芦ノ湖周辺は夜間照明が極端に少なく、霧も発生しやすいため視界が非常に悪くなります。また、鹿や猪などの野生動物も出没するため、物理的に危険です。
訪問時の心構えと絶対的なルール
- この場所の歴史に触れたい場合は、必ず**正規の観覧時間内(日中)**に、入場料を支払って「観光客」として訪問してください。
- 夜間の不法侵入は、肝試しではなく明確な「犯罪行為」です。警備が厳重なため、絶対に試みないでください。
- ここは江戸時代の厳しい法の下、命を落とした人々も関わる歴史的史跡です。故人や史料に対する敬意を払い、不謹慎な言動は厳に慎んでください。
まとめ
日中は歴史を学ぶ観光地、しかしその地下には「晒し首」や「関所破り」といった血塗られた記憶が眠る箱根関所。展示から外された一枚の写真は、今も資料館の暗い保管庫で、無数の顔を浮かび上がらせているのかもしれません。
このスポットの近くにある、もう一つの恐怖
- お玉ケ池 箱根関所から徒歩約15分。関所破りの罪で捕らえられ、処刑された16歳の少女「お玉」の首を洗ったと伝えられる池。霧の夜、白い着物の女性の霊が水辺に立つという噂が絶えません。
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- 精進池 関所から北へ約3km。かつて関所を通る旅人が、身を清めるために水垢離をした霊場。しかし深夜、水面を覗き込むと「無数の顔」や「白い手」が浮かび上がってくると恐れられています。
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