根岸競馬場跡:窓から覗く米兵の霊…「東洋一」の廃墟に響く馬のいななき 横浜市中区、市民の憩いの場である「根岸森林公園」。その一角に、異様な存在感を放つ巨大なコンクリート廃墟がそびえ立っています。ここは日本初の西洋式競馬場として栄華を極めた「旧根岸競馬場一等馬見所」。
...
根岸競馬場跡:窓から覗く米兵の霊…「東洋一」の廃墟に響く馬のいななき
横浜市中区、市民の憩いの場である「根岸森林公園」。その一角に、異様な存在感を放つ巨大なコンクリート廃墟がそびえ立っています。ここは日本初の西洋式競馬場として栄華を極めた「旧根岸競馬場一等馬見所」。戦後米軍に接収され、数々の死が目撃されたというこの場所は、今や窓から覗く「兵士の霊」と、夜な夜な響く「馬の蹄の音」で知られる、横浜屈指の心霊スポットと化しています。
噂される怪奇現象と有名な体験談
「東洋一」と呼ばれた壮麗な観覧席は、時が止まったまま、訪れる者を拒む廃墟となりました。この場所では、その複雑な歴史を物語るかのような、数多くの怪奇現象が噂されています。
- 廃墟となった一等馬見所の窓から、米兵と思われる霊がこちらを覗いている。
- 真夜中、誰もいないはずの馬場跡から、馬のいななきや荒々しい蹄の音が聞こえてくる。
- 廃墟内部で霧のような白い人影が立ち上る。
- 侵入者がいないはずの内部の階段から、軍靴のような重い足音が響いてくる。
- 敷地内でオーブ(光球)や人影が鮮明に写真に写り込む。
- 近隣住民からは「夜になると、外国人の楽しそうな笑い声や、突如として英語の怒声が聞こえる」という証言がある。
- 廃墟内部で、誰も触れていないボールが転がったり、古い音楽が流れたりするという報告もある。
窓から覗く米兵の霊
この廃墟で最も多く語られる恐怖体験が、「窓から覗く霊」の存在です。 根岸森林公園側から廃墟を見上げると、無数にある窓のどれか一つから、ぼんやりとした人影、時には軍服を着た米兵らしき男が、じっとこちらを見下ろしていると言われています。その視線に気づき、目を凝らした瞬間にスッと消えてしまうこともあれば、いつまでも見つめ続けてくることもあるといいます。これは、戦後の米軍接収時代にこの場所で命を落とした兵士の霊ではないかと噂されています。
闇に響く馬のいななきと蹄
もう一つ、この場所の「記憶」を強く感じさせる現象が「音」にまつわるものです。 競馬場としての機能をとっくに失った現在でも、特に湿度の高い夜、馬場が広がっていた公園の方向から、馬の荒々しい「いななき」や、ダートを蹴る「パカラッ、パカラッ」という蹄の音が聞こえてくるというのです。それは、かつての栄華を懐かしむ馬の霊なのか、あるいは別の何かなのか、その正体を知る者はいません。
この場所に隠された歴史と呪われた背景
「東洋一」と呼ばれた競馬場の栄光と転落
旧根岸競馬場の歴史は古く、初代の競馬場は1866年(慶応2年)に開設されました。これは日本初の西洋式競馬場であり、外国人居留地の社交場として、日本の競馬文化が始まった場所でもあります。
現在廃墟として残る「一等馬見所」は、1929年(昭和4年)にアメリカ人建築家J・H・モーガンの設計によって建設されました。鉄筋コンクリート造6階建て、4500人を収容可能というその威容は「東洋一の競馬場」と称賛されました。
しかし、その栄華は長く続かず、第二次世界大戦の勃発と共に軍需目的に使用が停止されます。戦後はGHQに接収され、米軍の娯楽施設やクラブハウスとして利用されました。この接収時代の閉鎖的な空間で、米兵による事故死や自殺が相次いだとされています。1969年に一部が返還され、1980年代には建物の老朽化により完全に閉鎖。壮麗な観覧席は、誰の目にも触れられない廃墟として取り残されることになりました。
心霊スポットになった“きっかけ”
この場所が心霊スポットとして語られ始めたのは、米軍接収中に起きたとされる米兵たちの不審死や自殺の噂が起源とされています。 1970年代に入り、建物が徐々に荒廃し廃墟としての姿を露わにし始めると、「兵士の霊が出る」「馬の鳴き声がする」といった怪談が地元で広まり始めました。
その名を全国区に押し上げた決定的な出来事が、1983年に公開されたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の映画『プロパガンダ』のロケ地として使用されたことです。映像作品を通して、その異様で退廃的な美しさを持つ廃墟の姿が全国に知れ渡り、「不気味な場所」としてのイメージが決定づけられ、多くの心霊マニアや廃墟愛好家を引き寄せることになったのです。
【管理人の考察】なぜこの場所は恐れられるのか
根岸競馬場跡が強力な心霊スポットとして今なお語り継がれる理由は、その特異な歴史と環境が複合的に作用しているためと考えられます。
- 歴史的要因: 最大の要因は、「米軍接収時代の米兵の死」という、具体的な「死の記憶」が土地に刻まれていることです。日本初の西洋式競馬場という「華やかな社交場」であった過去と、戦争による「軍事利用」、そして戦後の「米軍接収(異文化による支配)」、最後に「廃墟」として打ち捨てられたという、歴史の断絶と落差があまりにも激しい。この強烈なギャップが、無念の死を遂げた者たちの霊をこの地に縛り付けている可能性は十分に考えられます。
- 地理的・環境的要因: 建物は「根岸森林公園」という広大な緑地の中に、孤立するようにそびえ立っています。夜間は周囲に人工の光が少なく、闇の中に浮かび上がる巨大なコンクリートのシルエットは、それ自体が圧倒的な威圧感と恐怖を放ちます。また、無数の窓を持つその構造は、「何かに覗かれている」という視線への恐怖(スコポフォビア)を強く刺激します。
- 心理的要因: 訪問者は「ここは米兵の霊が出る廃墟だ」という強烈な先入観を持っています。YMOの映画などで刷り込まれた「不気味な場所」というイメージは、脳を極度に緊張させます。その結果、建物のきしむ音や風の音を「軍靴の足音」や「英語の怒声」と誤認し(パレイドリア現象)、暗闇に揺れる木々の影を「人影」と錯覚しやすくなります。さらに、「完全立入禁止」という「禁忌」が、恐怖と背徳的な好奇心を極限まで増幅させているのです。
探索の注意点
現在の状況と物理的な危険性
- 旧根岸競馬場一等馬見所は、横浜市が管理する文化財指定建造物であり、**例外なく「完全立入禁止」**です。
- 敷地の全周は高さ3メートルを超える堅牢なフェンスと有刺鉄線によって厳重に封鎖されています。
- 敷地内には複数の監視カメラが設置されており、警備員による巡回も常時行われています。
- 内部は床面の崩落や鉄骨の腐食が激しく進行しており、物理的に極めて危険な状態です。
- 無断で侵入した場合、建造物侵入罪(刑法第130条)に基づき、即座に警察に通報され、刑事告発の対象となります。
- 過去に侵入し検挙された事例も報告されており、絶対に侵入してはいけません。
訪問時の心構えと絶対的なルール
- この場所への侵入は「肝試し」ではなく「犯罪」です。いかなる理由があってもフェンスを乗り越えてはいけません。
- 訪問は、あくまで根岸森林公園の敷地内から、フェンス越しに外観を偲ぶだけに留めてください。
- 根岸森林公園は、日中多くの市民が利用する憩いの場です。他の公園利用者に迷惑をかける行為は厳禁です。
- この建物は、横浜の歴史を物語る貴重な「文化財」です。落書きやフェンスの破壊などは言語道断です。
- 横浜市は2030年を目標に、耐震補強の上で外観見学などを可能にする保全計画を進めています。その日を静かに待つのが、この場所への敬意の示し方です。
まとめ
「東洋一」と謳われた栄光、戦争と接収の歴史、そして米兵の死の噂。根岸競馬場跡は、横浜の光と影を一身に背負い、厳重なフェンスの中で静かに崩壊の時を待っています。その窓の奥に潜むという視線は、この場所の複雑な記憶を今に伝える、歴史の証人そのものなのかもしれません。
このスポットの近くにある、もう一つの恐怖
- 打越橋 この廃墟から西へ約2kmの場所にある、朱色のアーチ橋。「横浜最恐の橋」とも呼ばれ、古くから飛び降り自殺が絶えず、「車に飛び込んでくる女性の霊」の目撃談が後を絶ちません。
詳細はこちら→
あなたの体験談を教えてください(口コミ・レビュー)