800年の怨念が彷徨う…源氏に討たれた落人たちの墓所「平家の墓」 兵庫県相生市の深く険しい山中に、歴史の闇に葬られたかのようにひっそりと佇む墓所があります。通称「平家の墓」。栄華を極めながらも、源平合戦に敗れ、無念の死を遂げた平家一門の落人たちが眠るとされるこの場所は、
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800年の怨念が彷徨う…源氏に討たれた落人たちの墓所「平家の墓」
兵庫県相生市の深く険しい山中に、歴史の闇に葬られたかのようにひっそりと佇む墓所があります。通称「平家の墓」。栄華を極めながらも、源平合戦に敗れ、無念の死を遂げた平家一門の落人たちが眠るとされるこの場所は、800年以上の時を経た今もなお、成仏できない武士たちの霊が彷徨い続ける、関西でも屈指の強力な心霊スポットとして知られています。
心霊スポットとしての平家の墓:源氏への怨念と落人の無念
この場所が心霊スポットとして恐れられる理由は、平安時代末期の「源平合戦」で敗れた平家一門の、あまりにも悲劇的な末路にあります。壇ノ浦の戦いで破れ、命からがらこの地に落ち延びてきた平家の武士たちが、追ってきた源氏の軍勢によって発見され、惨殺された場所だと伝えられています。源氏への尽きることのない憎悪と、故郷を追われた落人の無念が、この地の霊的なエネルギーを凄まじいものにしていると考えられています。
歴史的背景:源氏に討たれた平家落人伝説
1185年(寿永4年)、壇ノ浦の戦いで源氏に大敗を喫した平家一門は、安徳天皇と共に入水し、滅亡したとされています。しかし、一部の一族は生き延び、全国各地へ落ち延びたという「平家落人伝説」が数多く残されています。
この相生の地に伝わる伝説もその一つです。壇ノ浦から落ち延びた平家の武士十数人が、この山中で隠れ住んでいたところ、源氏の追っ手に見つかってしまいます。激しい抵抗もむなしく、全員がその場で討ち取られ、首を刎ねられました。哀れに思った村人たちが、その亡骸を葬り、供養のために建てたのが、この「平家の墓」の始まりだとされています。現在、墓所には十数基の五輪塔が、ひっそりと肩を寄せ合うように並んでいます。
怪奇現象・体験談:闇夜の合戦と甲冑の武者行列
この場所で報告される怪奇現象は、すべてが非業の死を遂げた平家の武士たちの霊に関連するものです。
- 甲冑姿の武士の霊 深夜、墓所の周辺やそこへ至る山道で、甲冑を身に着けた武士の霊が徘徊している姿が数多く目撃されています。首のない姿であったり、血まみれの姿であったり、馬に乗った騎馬武者の行列であったりと、その目撃談は様々です。
- 刀を交える音と鬨の声 誰もいないはずの夜の山中で、多くの兵士たちが叫ぶ鬨の声(ときのこえ)や、刀と刀が激しくぶつかり合う合戦の音が聞こえてくるという体験談も後を絶ちません。800年以上前の、源氏と平家の最後の戦いが、今もなおこの場所で繰り返されているかのようです。
- 白い着物の女性の霊 武士の霊だけでなく、白い着物を着た女性の霊が、墓の前で泣いている姿も目撃されています。戦で夫や家族を亡くした女性の霊ではないかと囁かれています。
現地の状況・注意事項:険しい山道と墓所への敬意
- 現在の状況 平家の墓は、現在も地元の人々によって静かに供養されている墓所です。墓所へ至る道は、車一台がやっと通れるほどの非常に狭く険しい山道(林道)で、舗装されていない区間もあります。
- 立ち入り禁止区域 墓所自体は立ち入りが禁止されているわけではありませんが、神聖な場所です。墓石を荒らす行為は絶対に許されません。
- 安全上の注意点 アクセスする山道は、ガードレールもなく、対向車とのすれ違いも困難な場所が多いため、運転には最大限の注意が必要です。脱輪や転落の危険性も高く、夜間の走行は特に危険です。また、イノシシやシカなどの野生動物と遭遇する可能性もあります。
- マナー・ルール ここは800年以上前に非業の死を遂げた人々が眠る神聖な墓所です。肝試し目的であっても、大声で騒いだり、ゴミを散らかしたりする行為は厳禁です。もし訪れるのであれば、必ず静かに手を合わせ、全ての魂の冥福を祈ることが最低限のマナーです。
訪問のポイント
- おすすめの時間帯 心霊スポットとしての雰囲気を味わいたいのであれば、人けがなくなる深夜となりますが、前述の通りアクセスは非常に危険です。安全を最優先に考えてください。
- 特定のスポット 十数基の五輪塔が並ぶ墓所そのものが、最も霊的なエネルギーが強い場所とされています。