堀が血で染まった落城の地…四日市の中心部に眠る古戦場「鵜の森公園」 三重県四日市市の中心市街地、ビルや商店に囲まれた一角に、緑豊かな「鵜の森(うのもり)公園」があります。公園内には「鵜森神社」が鎮座し、昼間は市民の憩いの場として穏やかな空気が流れています。
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堀が血で染まった落城の地…四日市の中心部に眠る古戦場「鵜の森公園」
三重県四日市市の中心市街地、ビルや商店に囲まれた一角に、緑豊かな「鵜の森(うのもり)公園」があります。公園内には「鵜森神社」が鎮座し、昼間は市民の憩いの場として穏やかな空気が流れています。しかし、この場所は戦国時代、織田信長軍の猛攻によって落城した「浜田城」の跡地であり、城兵とその家族たちが集団自決、あるいは惨殺された血塗られた古戦場でもあります。
心霊スポットとしての鵜の森公園:市街地に残る戦国時代の怨念
この公園が心霊スポットとして恐れられる理由は、今から約450年前にこの地で起きた、あまりにも悲惨な落城の歴史にあります。織田軍の伊勢侵攻によって追い詰められた浜田城の城兵、女性や子供を含む数百人が、城の堀に身を投げて自害し、その血で堀の水が真っ赤に染まったと伝えられています。繁華街のすぐそばという現代的なロケーションにありながら、その土地には戦国時代の凄まじい怨念が、今もなお色濃く渦巻いているのです。
歴史的背景:浜田城の落城と血染めの堀
鵜の森公園がある場所は、室町時代から戦国時代にかけて、この地を治めていた浜田氏の居城「浜田城」があった場所です。1567年(永禄10年)、天下統一を目指す織田信長の家臣・滝川一益(たきがわかずます)が、大軍を率いて伊勢国へ侵攻。浜田城もその標的となりました。
城主であった浜田近江守(はまだおうみのかみ)は、わずかな兵で果敢に抵抗しますが、圧倒的な兵力差の前に城はあえなく落城。追い詰められた城兵、そしてその妻や子供たちは、敵兵の手にかかることを拒み、次々と城の堀(現在の公園内の池)へ身を投げて命を絶ったと言われています。その数は数百人にのぼり、三日三晩、堀の水は血で赤く染まり続けたと伝えられています。公園内にある鵜森神社は、そうした非業の死を遂げた人々の魂を鎮めるために創建されたと言われています。
怪奇現象・体験談:闇夜に現れる武者と白い着物の女
この公園では、浜田城の戦いで亡くなった人々の霊に関連する、数々の怪奇現象が報告されています。
- 甲冑姿の武士の霊 深夜、公園内を甲冑に身を固めた武士の霊が徘徊している姿が目撃されています。血まみれの姿であったり、首のない姿であったり、複数人が隊列を組んで歩いていたりするなど、その目撃談は様々です。
- 池(堀跡)に現れる白い着物の霊 かつて人々が身を投げた池のほとりに、白い着物を着た女性や子供の霊がたたずんでいるという話は非常に有名です。水面を悲しそうに見つめていたり、助けを求めるかのように手招きをしたりすると言われています。
- 「母上はどこに…」と尋ねる子供の霊 公園内を歩いていると、幼い子供の霊が現れ、「母上はどこに…」と尋ねてくることがあると言います。戦乱の中で母親とはぐれてしまった子供の霊なのでしょうか。
- 公園のトイレの怪奇現象 園内の公衆トイレも危険なスポットとして知られています。誰もいないはずの個室からうめき声が聞こえたり、ドアを激しく叩かれたり、鏡に無数の手形が浮かび上がったりといった怪奇現象が報告されています。
現地の状況・注意事項:市街地のオアシスと古戦場跡
- 現在の状況 公園は、鵜森神社を中心に、かつての堀の一部である池や遊具などが整備された市民公園です。周囲は四日市の市街地であり、夜でも比較的明るいですが、木々が鬱蒼と茂るエリアは不気味な雰囲気に包まれます。
- 立ち入り禁止区域 公園、神社ともに夜間も立ち入ることが可能ですが、神社の社殿など神聖な場所を荒らす行為は絶対にやめてください。
- 安全上の注意点 市街地にある公園ですが、夜間は人通りが少なくなります。治安上の観点からも、深夜に一人で訪れることは推奨されません。
- マナー・ルール ここは多くの人々が非業の死を遂げた古戦場跡地であり、その魂を鎮めるための神聖な神社がある場所です。肝試し目的であっても、大声で騒いだり、ゴミを散らかしたりする行為は厳禁です。静かに、そして全ての魂への敬意と畏怖の念をもって訪れてください。
訪問のポイント
- おすすめの時間帯 心霊スポットとしての雰囲気を味わいたいのであれば、人けがなくなる深夜となりますが、マナーと安全には最大限の配慮が必要です。
- 園内の特定スポット 「鵜森神社の鳥居周辺」、「池(堀跡)に架かる橋の上」、「公園の公衆トイレ」などが、特に霊の目撃情報が多い場所とされています。