「売春島」と呼ばれた哀しき歴史…遊女の霊が彷徨う「渡鹿野(わたかの)島」 三重県志摩市、的矢湾にぽつんと浮かぶ周囲約7kmの小さな島、「渡鹿野島」。現在はリゾートホテルなどが建ち、穏やかな観光地としての顔を見せています。
...
「売春島」と呼ばれた哀しき歴史…遊女の霊が彷徨う「渡鹿野(わたかの)島」
三重県志摩市、的矢湾にぽつんと浮かぶ周囲約7kmの小さな島、「渡鹿野島」。現在はリゾートホテルなどが建ち、穏やかな観光地としての顔を見せています。しかし、この島には昭和の時代、「売春島」「女買いの島」と呼ばれ、全国から集められた女性たちが働かされていたという、暗く哀しい過去が刻まれています。その裏社会の歴史の中で、絶望し、病み、命を落としていった女性たちの霊が、今もなおこの島を彷徨い続けていると言われています。
心霊スポットとしての渡鹿野島:遊女たちの涙と怨念が眠る島
この島が心霊スポットとして語られる理由は、そのあまりにも特殊で悲劇的な歴史にあります。かつて、この島には最盛期で200人以上もの娼婦がいたとされ、自由を奪われ、劣悪な環境で働かされていました。借金や様々な事情で島から出られず、絶望して海へ身を投げたり、病気で亡くなったり、あるいは客とのトラブルで殺害されたりした女性も少なくなかったと言われています。そうした、数えきれないほどの女性たちの涙と怨念が、島全体の空気を重くし、強力な霊場へと変貌させたのです。
歴史的背景:「売春島」と呼ばれた光と影
渡鹿野島は、古くは風待ちの港として船乗りたちが立ち寄る場所でした。その歴史の中で、船乗りたちを相手にする遊女たちが集まり始め、いつしか島全体が一大歓楽街へと変貌していきました。特に昭和の高度経済成長期には、慰安旅行の団体客などを相手に隆盛を極め、「渡鹿野島へ行けば男の夢が叶う」とまで言われました。
しかし、その華やかさの裏では、多くの女性たちが人権を無視された状況に置かれていました。1990年代以降、売春防止法の取り締まり強化や社会の変化により、島の歓楽街は急速に衰退。多くの店が廃業し、島には当時の面影を残す廃墟が今も点在しています。心霊スポットとしての噂は、そうした衰退の中で、かつてこの島で生きた女性たちの悲劇が、改めて注目されることで広まっていきました。
怪奇現象・体験談:夜の路地裏で手招きする女
この島で報告される怪奇現象は、そのほとんどが、かつてここで働いていた女性たちの霊に関連するものです。
- 路地裏に立つ女性の霊 島に張り巡らされた狭い路地裏や、廃墟となった旅館の窓辺に、着物姿やドレス姿の女性の霊がたたずんでいるという目撃談が最も多く報告されています。男性が一人で歩いていると、「お兄さん、遊んでいかない?」と声をかけてきたり、寂しそうに手招きをしたりすると言います。
- 海から聞こえるすすり泣き 深夜、島の海岸線を歩いていると、どこからともなく女性のすすり泣く声や、助けを求める叫び声が聞こえてくることがあると言います。これは、海へ身を投げて命を絶った女性たちの霊の声だとされています。
- 廃墟からの視線 島内に点在する廃墟となった旅館やスナックからは、常に何者かに監視されているような、強い視線を感じると言います。窓に人影が横切るのを見た、という体験談も後を絶ちません。
現地の状況・注意事項:観光地と廃墟が混在する島
- 現在の状況 現在の渡鹿野島は、売春島という過去からの脱却を図り、健全な観光地として再生を目指しています。新しいホテルや観光施設が営業する一方で、かつての歓楽街の面影を残す路地裏や、廃墟となった建物も数多く残っており、昼間でも独特の雰囲気が漂っています。
- 立ち入り禁止区域 島内に点在する廃墟はすべて私有地であり、立ち入りは固く禁じられています。不法侵入は犯罪行為です。
- 安全上の注意点 島の路地は非常に狭く、迷路のようになっています。夜間は街灯も少なく暗いため、一人で奥まった場所へ行くのは避けるべきです。また、廃墟は倒壊の危険性もあります。
- マナー・ルール ここは多くの女性たちが哀しい人生を送った場所です。彼女たちの歴史に敬意を払い、決して面白半分で騒いだり、不謹慎な行動をとったりしないでください。島民の方々の生活にも配慮が必要です。
訪問のポイント
- おすすめの時間帯 心霊スポットとしての雰囲気を味わいたいのであれば夜間となりますが、前述の通り危険も伴います。島の持つ独特の物悲しい空気は、昼間に廃墟が残るエリアを散策するだけでも十分に感じ取ることができます。
- 特定のスポット 島の中心部に広がる「かつての歓楽街の路地裏」や、女性たちが祀られているとされる「見先弁財天(みさきべんざいてん)」の周辺は、特に霊的なエネルギーが強い場所とされています。