【山梨・古戦場の怨念】新府城跡…武田勝頼の悲劇、炎に消えた女子供の霊が彷徨う城 山梨県韮崎市に、戦国時代の名将・武田勝頼の、あまりにも悲しい夢の跡が、静かに眠っています。「新府城跡(しんぷじょうあと)」。ここは、完成からわずか68日で、勝頼自らの手によって火を放たれ、落城した悲劇の城。
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【山梨・古戦場の怨念】新府城跡…武田勝頼の悲劇、炎に消えた女子供の霊が彷徨う城
山梨県韮崎市に、戦国時代の名将・武田勝頼の、あまりにも悲しい夢の跡が、静かに眠っています。「新府城跡(しんぷじょうあと)」。ここは、完成からわずか68日で、勝頼自らの手によって火を放たれ、落城した悲劇の城。今もなお、炎の中で命を落としたという侍女や子供たち、そして主君を守れなかった落ち武者の霊が、夜な夜なこの城跡を彷徨い続けているという…。
噂される怪奇現象と有名な体験談
戦国時代の終焉と、武田家滅亡の悲劇が凝縮されたこの場所では、その歴史を裏付けるかのような、数々の心霊現象が報告されています。
- 深夜、城跡の石垣や階段に、甲冑をまとった落ち武者の霊が集団で現れる。
- 本丸跡や井戸の周辺で、顔が真っ赤に焼け爛れた、着物姿の女性や子供の霊が目撃される。
- 誰もいないはずなのに、城跡から、複数の人間のうめき声や、助けを求める叫び声が聞こえる。
- 敷地内に足を踏み入れると、急激な頭痛や吐き気、そして強い悪寒に襲われる。
- 霧の深い夜、城跡を無数の火の玉(人魂)が飛び交う。
- 撮影した写真に、おびただしい数のオーブや、甲冑姿の人影が写り込む。
最も有名な伝説「炎に焼かれた女子供の霊」
この城址を、単なる史跡ではない、特別な畏怖の対象たらしめているのが、「炎の中で死んでいった女子供の霊」の伝説です。天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍の猛攻を前になすすべもなく、武田勝頼は、この完成したばかりの城に、自ら火を放ち、逃亡しました。
その際、城内には、逃げ遅れた侍女や、人質として捕らえられていた人々が多数取り残され、燃え盛る炎の中で、生きたまま焼け死んだ、と噂されています。そのため、今もなお、夜になると、顔が真っ赤に焼け爛れた、着物姿の女性や子供の霊が、助けを求め、城跡を彷徨い歩くのだと言います。「深夜、本丸跡で、母子が肩を寄せ合って泣いているのを見た。その顔は、焼けただれて判別できなかった」など、あまりにも悲惨な目撃談が後を絶ちません。
階段に立つ“落ち武者”
この場所のもう一つの恐怖が、本丸跡へと続く石段に現れるという、「落ち武者の霊」です。彼らは、主君・勝頼を守りきれなかった無念と、織田軍への憎悪から、今もなお、この城に留まり続けていると言われています。
「霧の深い夜、石段を登っていると、すぐ目の前を、血まみれの鎧武者が、槍を構えて横切っていった」「階段の途中で休憩していると、背後から『何者だ』という低い男の声が聞こえ、振り返ると、そこには誰もいなかった」といった体験談があります。彼らは、今もこの城を、見えざる敵から守り続けているのでしょうか。
この場所に隠された歴史と呪われた背景
新府城の成り立ち
「新府城」は、天正9年(1581年)、甲斐武田氏の第20代当主・武田勝頼(信玄の子)が、それまでの躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に代わる、新たな本拠地として築城した、巨大な山城です。「新しい府中」という意味を込め、その名が付けられました。
しかし、その夢も束の間、築城の翌年である天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康の連合軍による甲州征伐が開始されます。勝頼は、敵の侵攻を前に、この完成したばかりの城に、自らの手で火を放ち、わずか68日間しか居城とすることなく、天目山へと逃亡、そして滅亡しました。
<h4>心霊スポットになった“きっかけ”</h4>
この場所が心霊スポットとなった背景には、「武田家滅亡」という、日本史上屈指の悲劇的な歴史があります。
これは単なる噂や都市伝説ではありません。実際にこの場所で、戦国大名・武田氏の栄光が、炎と共に、文字通り“終焉”を迎えたのです。
「新築の城に、自ら火を放って落ち延びる」。その時の、勝頼をはじめとする武田一族の、計り知れない無念と絶望。そして、その炎の中に消えていったとされる、名もなき侍女や人質たちの「非業の死」。
この、あまりにも強烈でドラマチックな「滅亡の記憶」が、この土地に深く刻み込まれています。訪れる者は、この城跡の石垣の一つ一つに、400年以上前の悲劇の叫び声と、怨念を感じずにはいられないのです。
【管理人の考察】なぜこの場所は恐れられるのか
単なる史跡が、なぜこれほどまでにリアルな恐怖を感じさせるのでしょうか。それは、この場所が**「夢の残骸」**そのものであるからです。
- 歴史的要因: この場所の恐怖は、**武田勝頼という、悲劇の英雄の「最後の夢と絶望」に根差しています。偉大な父・信玄の跡を継ぎ、一族の再起をかけて築いたはずの“新しい都”。その完成直後に、自らの手で焼き払わなければならなかったという、あまりにも皮肉で、残酷な運命。この「栄光と滅亡の、あまりにも急激な落差」**こそが、この土地の霊的なエネルギーを、極めて強力で、物悲しいものにしているのです。
- 地理的・環境的要因: 標高の高い丘陵地に築かれた山城。夜になれば、市街地の灯りとは裏腹に、城跡は深い闇と静寂に包まれます。点在する石垣や、深く掘られた空堀(からぼり)、そして木々が鬱蒼と茂る曲輪の跡は、夜の闇の中では、**「どこに“何か”が潜んでいてもおかしくない」**という、本能的な恐怖を掻き立てます。
- 心理的要因: 「武田家最後の城」「68日で焼失」。この強烈な歴史の知識が、訪れる者に強力な先入観を与えます。その上で、「炎で焼け死んだ女子供の霊が出る」という具体的な物語を聞かされると、人は風の音を「叫び声」と、木々の影を「落ち武者の姿」と、そして自身の胸の痛みを「彼らの無念との共鳴」として、感じ取ってしまうのです。
探索の注意点
現在の状況と物理的な危険性
- 【重要】国の史跡・公園: 新府城跡は、国の史跡に指定されており、現在は公園として整備され、誰でも訪れることができます。
- 夜間は完全な暗闇で危険: 公園内に街灯はほとんどなく、夜は完全な暗闇です。遊歩道は舗装されていない場所も多く、急な階段や石垣もあるため、転倒・滑落の危険性が非常に高いです。
- 野生動物との遭遇: 周辺は山林であるため、イノシシやシカ、マムシなどの危険な野生動物と遭遇する可能性があります。
- 地震による崩落: 2024年の能登半島地震の影響は不明ですが、古い石垣は、常に崩落の危険性があります。
訪問時の心構えと絶対的なルール
- 史跡と戦没者への敬意を最優先に: この場所は、肝試しスポットである前に、武田一族をはじめ、多くの魂が眠る神聖な古戦場です。不謹慎な言動や、史跡を荒らす行為は絶対にやめてください。
- 夜間の訪問は避ける: 物理的な危険性が高すぎるため、夜間の訪問は絶対に避けるべきです。
- 静かに歴史を偲ぶ: もし訪れるのであれば、昼間の明るい時間帯に、史跡を訪れる者として、静かに400年前の悲劇に思いを馳せるに留めてください。
- 火気厳禁: 城跡(山中)での火の使用は、山火事の原因となり大変危険です。
まとめ
新府城跡は、戦国の世の栄華と、その終焉の悲劇が、最も鮮烈な形で刻み込まれた場所です。夜の闇に響くのは、本当に霊の声なのでしょうか。それとも、歴史の非情さを、我々に語りかける、ただの風の音なのでしょうか。
このスポットの近くにある、もう一つの恐怖
- すずらん池(すずらんいけ) 新府城跡のある北杜市に存在する、もう一つの有名な心霊スポット。こちらは、入水自殺した老婆の怨念が渦巻き、夜な夜な、湖面から“呪いの手”が伸びてきて、生きている人間を水底へと引きずり込むと噂されています。
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